「本当に、一瞬だったんです」と、カウンター越しに語るお客様の顔には、隠しきれない疲労と困惑が浮かんでいます。スマホをトイレに落としたという相談を受ける際、私たち修理技術者がまず確認するのは、落としてから現在までの「経過時間」と、お客様が「何をしたか」です。お客様はよく「すぐに拾って、タオルで拭いて、一晩乾かしました」と誇らしげに仰いますが、その一晩の放置こそが、内部のサビを固定化させてしまう最大の障壁となります。私たちはまず、特殊な工具でディスプレイを剥がし、内部の様子を顕微鏡で映し出してお客様に見せます。そこには、わずか数時間前にトイレに落としたとは思えないほど、白い粉を吹いたように腐食が進んだコネクタや、緑色に変色したチップが並んでいます。「水は乾けば直る」というのは大きな誤解です。水に含まれるミネラルや塩素、そしてトイレ特有の汚れは、乾燥と共に金属を腐食させる強力な触媒へと変貌します。私たちは、この腐食を特殊な洗浄液と超音波洗浄機を使って、一つずつ手作業で取り除いていきます。作業の合間にお客様とお話しするのは、データのバックアップについてです。スマホをトイレに落とした方の大半が、数ヶ月、あるいは数年もバックアップを取っていないことに絶望されています。私たちはデバイスを「直す」だけでなく、なんとか一度だけ起動させ、データを吸い出すための「橋渡し」をすることに全力を注ぎます。修理が成功し、画面にリンゴのマークやメーカーのロゴが表示された瞬間のお客様の安堵した表情は、この仕事の醍醐味ではありますが、同時に私たちは釘を刺します。「一度水に濡れた基板は、いつ動かなくなるか分かりません」。水没修理は完治ではなく、延命処置なのです。この現実を伝えることが、同じ過ちを繰り返さないための、そしてお客様の大切なデジタル資産を守るための、プロとしての誠実さだと考えています。スマホをトイレに落とすという災難は、最悪の出来事であると同時に、自分が本当に大切にすべきものに気づかせてくれる、奇妙な光を伴った経験でもあったのです。